OPEN THE DOOR Vol,1 / short short exhibition PROJECT





▷ OPEN THE DOOR vol,1 ◁

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美術批評家:矢田滋 / 美術家:生須芳英
”完成に向かわず自画像を描こうとするもの”

日時:2017年 9月9日(土)、10日(日) 12:00-20:00
会場:ギャラリアンアスカヤマ
企画:イオリプロダクション

トークショー・スケジュール

①日本的シミュレーショニズムを今日展開させる中で起きる居心地の悪さについて
日時:9月9日 (土) 時間 17:00-19:00
登壇者: 矢田滋 生須芳英
参加費:¥300

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②凄絶驚異!!『今泉旋風』再・襲来!!!!
日時:9月10日 (日) 時間 16:00-19:00
登壇者: 矢田滋(芸大美術評論家)、爆乳美術批評オルガナイザーズ
« 生ハメよし子(生須芳英) + 靜和子 + 梅津庸一 »
参加費:¥300

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【本展のお願いと注意事項】
*ツイッター上にて最新情報を更新致します、都度、ご確認ください。
*開場前や混雑時は、天候問わず屋外でお待ちいただく場合があります。
*混雑状況によっては、入場を制限させていただく場合があります。
*施設内にお手洗いはございません。
*動画撮影・音声収録禁止です。
*掲載内容や条件は、予告なく変更する場合があります。

以上、あらかじめご了承ください。

OPEN THE DOOR vol,1

加速度的に拡大するグローバル社会で、その歪みが何処かしこに顕在化される激動の時代。このたび、イオリプロダクション企画 『OPEN THE DOOR』 が始まります。『OPEN THE DOOR』 即ち 『闥を排す』。本企画は、ギャラリストと表現者双方が意図的、且つ恣意的にギャラリーの門を左右に開くことで多様な創造活動の可能性を見いだす場として機能させることを目指します。

第一弾として、上記の通り、9月9日(土)、10日(日)と、ギャラリアンアスカヤマを会場に美術批評家:矢田滋と美術家:生須芳英による展覧会 『完成に向かわず自画像を描こうとするもの』 を開催いたします。本展は彼等の新作映像作品とトークショーで構成されます。

美術批評家:矢田滋

我々の文化的自画像は洗練されてあるどころか薄汚れていて優柔不断でモタモタしている。美術批評家の今泉篤男は1952年にそのことをストレートに指摘した。日本の近代画は目的に向かわず、一様になんとなく完成とすることにとどまっているゆえにそうなるのだと述べた。それは大衆が戦後の自由を謳歌し始めた時代に、なかば水を差すようになされた指摘であり、それゆえ日本の美術関係者のナルシスティックな自己像に「傷」を残したということができる。

その後1990年代に現代美術は現代アートと呼び名を変えた。そこで注目されたものの一つは日本的サブカルチャーである。日本の戦後サブカルチャーにおいていつまでも「建設中」の光景が繰り返される。そこでシミュレーションされるのは、1954年の特撮映画『ゴジラ』にあらわれていたような、あの避けようのない都市破壊という外傷的体験であり、それがポップな形に脱色されつつ繰り返されるのだ。もはや戦後美術史はアィデンティティーの問題と関係なく、戦後大衆文化史こそ関係があると嘯かれる。しかしこうした日本式シミュレーショニズムにおいて、絵の具をいじくり回す人間の重々しさが脇にどかされ、情報としての完成途上的光景という意味論に単に置き換えられてしまったと考えることもできる。

風景も自画像も物事の外観を定義するのは誰かという権力性と隣接している限りで相互循環的なものだ。そのそれぞれがその場限りの流れに任せて語られていては、我々は文化にまつわる流動的なパワーの問題を捉えることもできないはずである。SNSの時代にその場限りの発信する顔をだれもが持とうと思えば持てるが、それは近代的自己同一性を破壊するというばかりでなく、違う権力性を表示するのかもしれない。

今泉のこだわった「近代画」という定義が葬り去られた今日では、ここまで挙げてきたテーマそれぞれの間の距離感は、非常に居心地の悪い状態に置かれているのかもしれない。しかしその距離感を「作品化」すること、すなわちコンセプチュアルな作品+トークショーというかたちで組織化することはできるし、それを通して誰もがもっと包括的な視野を持つべきであると主張したい。








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